"可能性"とか"妥当性"とかいう言葉に悩まされる日々

ここ最近は、論述のスキルを磨く日々を送っている。

論述課題における、出題者のモデリングを適切(?)にできるようになりたい。




(出題者も人間だから言葉遣いに間違いはある、、とかいうギロンは置いといて)

"可能性"、"妥当性"のようなそれ自体の辞書的な意味は、そんなに深く考えなくてもいいのかもしれない。

例えば、"可能性はどのくらいか?"に呼応するように、"可能性は80%くらいだ。"のようなことを算術抜きで書けば、それは単なるデタラメだろう。


むしろ、出題者が「何を聞き出したいのか」あるいは「何を疑問に思っているのか」に気を配るべきだろう。

"Aの可能性はどのくらいか?"という出題であれば、「確かにそうなること(A)もあるだろうが、」「そうならないこと(B)もあるだろう」と出題者は思っている、と考えることができる。
この場合、Aの可能性が単に高(低)い、というだけでなく、Bについての言及をすべきだろう。
これは、もしかしたら、回答の必要条件でない場合もあるかもしれないが、出題者を満足させることはできるかもしれない。


。。。かな、という覚書。



時間や字数に迫られた論述では、ともすれば論を展開する視野が狭くなってしまうこともあるかもしれないので、いろいろ難しいところだ。たいてい、終わった後に、ボロを見つけて落ち込んだりする。


あと、動詞"〜考えられる"の適切な使い方がいまいちわからなくなってきた。。
機会があればまた覚書をしとこう。